旧赤松家記念館 見学

※本日(30日)15時頃、9月29日投稿分の記事を誤って削除してしまいました。復元出来ないものかと各所に相談したり、自身でも試みてみました復元出来ませんでした。改めて投稿させていただきます。思い出しつつ書き綴りますが、多少表現の違いはあるかと思います。ご容赦ください。


赤松則良と渋沢栄一

 最初にご報告があります。昨日(28日)、磐田市見付に立地します旧赤松家記念館の見学に行ったのですが、そこではまず、記念館展示室のホールで係員の方から赤松則良 男爵(以下略称)の経歴などの説明があり、その会話の中で『現在放送中のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の次回放送(10月3日)に赤松則良が出る可能性があります。確実ではないですが。』とのことをお聞きしました。楽しみに放送を待ちたいと思います。

 旧赤松家記念館の見学に前回訪れたのは、平成23年(2011年)年3月に図書蔵の改修工事後の説明会が催された時以来なので、10年ぶりの見学となりました。
今回はこの旧赤松家邸宅を建てた赤松則良と渋沢栄一が旧知の間柄だと知り訪れたので、いいタイミングでの見学となりました。

 そこで赤松則良の経歴です。天保12年(1841年)幕臣の次男として江戸深川に生まれ、安政2年(1855年)14歳からオランダ語を学び始め、16歳にして蕃書調書で句読教授出役に命ぜられます。さらに長崎に移り長崎海軍伝習所生となり航海術を学びます。万延元年(1860年)19歳、日米修好通商条約批准書交換の際には咸臨丸の測量方として渡米します。さらに文久2年(1862年)21歳、幕府派遣の留学生の一人としてオランダに留学し造船技術を学びます。

 そして慶応4年(1868年)大政奉還を知り、留学を中止し帰国。幕府瓦解に伴い幕臣たちと共に静岡に移ります。そして無禄になった幕臣や天竜川の氾濫で困窮していた住民を集め、磐田原台地の茶園開墾に着手し、同時期、静岡藩沼津兵学校教授も務めます。

 しかし、明治3年(1870年)新政府の徴命や勝海舟の勧めもあり、茶園開墾は叔父に依頼し、兵部省に出仕。のちに海軍兵学校大教授となります。その後主船寮長官、横須賀造船所所長などを歴任し明治26年(1893年)予備役となり磐田に本籍を移し、終の棲家として見付に住宅を建て、その跡地が、現在では磐田市に教育委員会のもと「旧赤松家」として管理され、一般公開されています。

 続いて渋沢栄一の経歴です。「青天を衝け」をご覧の方はご存じかと思います。天保11年(1840年)武蔵国血洗島村(現・埼玉県深谷市血洗島)に生まれ、長男として生家の藍玉製造販売や養蚕の跡継ぎとして家業に努めます。その後、取り巻く環境から攘夷の思想に目覚め、文久3年(1863年)京都に出ますが、八月十八日の政変直後であったため、勤皇派が凋落した京都での志士活動に行き詰まり、江戸遊学の折に面識のあった一橋家家臣・平岡円四郎の推挙により一橋慶喜に仕えることになります。

 そして慶応2年(1866年)主君の慶喜が将軍となったことに伴い幕臣となり、慶応3年(1867年)パリで行われる万国博覧会に将軍の名代として出席する慶喜の弟・昭武の随員としてフランスに渡航します。

 ここで先にオランダに留学していた赤松則良と渋沢栄一の出会いがあります。

 パリの滞在費が予想以上にかかり苦慮していた渋沢栄一は、赤松大三郎(のちの則良)に資金の援助を依頼します。それに応え赤松大三郎は5万ドル(現在の価値で5億円相当)もの大金を融通します。その際に赤松へ宛てた渋沢直筆の書簡が残っています(国立国会図書館蔵/赤松家寄贈)。 二人の関係は、新政府の民部省で再会した後も続き、渋沢は明治20年に赤松が旧幕臣らと立ち上げた東京製鋼会社(現・東京製鋼株式会社)の創立時の株主、明治 31年には取締役会長となっています。

 ここでなぜ留学生で最年少の赤松大三郎に資金の融通が出来たのか?
東 秀紀 著「陽が開くとき~幕末オランダ留学生伝~」によりますと「当初は留学生団長・内田恒次郎が留学費の管理をしていたが、留学の日々を過ごすうちに機転が利き、日本人、オランダ人誰とでも仲良く出来、オランダ語も堪能な赤松大三郎に会計を任せるようになった」と記述されています。
そして今日訪れた旧赤松家記念館の展示室には、23歳の明朗快活そうな姿の赤松大三郎の等身大パネルが展示されていました。
「なるほど~っ!」と納得できました。

参考:磐田市教育委員会文化財課「旧赤松家記念館リーフレット」「各展示説明板」
     東 秀紀 著「陽が開くとき~幕末オランダ留学生伝~」


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【門・門番所.1】
磐田市見付に立地する旧赤松家記念館ですが、磐田原台地の裾野にあたるので前面道路に勾配がついています。
門前の大木・楠は樹齢120余りと推定され、幹周は記念館の許可を得て、同行してくれた測量士の友人K君と測ったところ5.3mありました。



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【門・門番所.2】
西面外観。建設当初はヨーロッパの城のごとくパラペットが立ち上がり矢狭間もあったそうですが、その後現在の切妻屋根に変えられました。



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【門・門番所.3】
東面外観(敷地内側)開口部はアーチになっていてキーストーンが配されています。
外壁の煉瓦積みはフランス積みのようです。


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【通用門】
北面。煉瓦積みの門はイギリス積みのようです。
右側面の煉瓦積みには扉の吊元金具の痕跡があり、当時は木製扉が付けられていたものと思います。


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【旧赤松家 配置図】
敷地全体の配置図です。当時は配置図右側(南側)にも敷地が広がっていました。現在は磐田の天ぷら料理の名店・天宏の敷地となってます。



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【図書蔵.1】
西面外観。1階外壁は豆砂利モルタル洗い出しに目地を入れ、切石積に見せています。2階外壁は漆喰壁です。
出窓は戸袋の位置から回転式雨戸でガラス窓を覆うようになっています。一筋敷居・鴨居のコーナー部に丸鋼を取り付け雨戸のガイドにしています。



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【図書蔵.2】
南西面外観。南面(右側)の雨戸は中央に収納される仕組み。2階の窓は上げ下げ式です。
屋根には洋風建築のようなドーマー窓が二つ取付けられています。



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【図書蔵.3】
1階南西面内観。壁は漆喰壁、床は板張り、天井は竿縁天井です。


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【図書蔵.4】
2階南西面内観。
本棚がありますが、書籍類は磐田市立中央図書館に赤松文庫として所蔵されています。
小屋組みの部材はかなり大きな梁・桁・母屋・火打梁が使われています。


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【米蔵.1】
東面外観。入口周りと妻面は煉瓦積み(長手積み)、桁面は下見板張り。上部は漆喰壁。


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【米蔵.2】
北西面内観。壁・床板張り。赤松家の歴史や明治時代の見付の写真が展示されています。


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【水屋】
食器類の洗い場として使われました。奥の丸いものは井戸です。



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【内蔵.1】
西面外観。内蔵は名前が示す通り当時は母屋の内側にありましたが、晩年、赤松則良は妻・貞が亡くなると長男・範一の住む東京に引っ越すのに合わせ、母屋を解体し東京に移築しました。そのため重厚な造りの内蔵だけこのように残りました。


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【内蔵.2】
北西面外観。1階腰周り煉瓦積み(長手積み)、その上部は漆喰壁。



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【内蔵.3】
母屋の間取り図。母屋の一番奥に内蔵(赤枠)があります。


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【内蔵.4】
2階南東面内観。明治期に見付で盛んだったたばこ産業の様子が展示されています。現在でもJT日本たばこの東海工場が磐田市にありその流れを汲んでいます。



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【旧赤松家記念館.1】
北西面外観。展示室と事務室があります。


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【旧赤松家記念館.2】
展示室。日米修好通商条約批准書交換のため咸臨丸に最年少乗組員(19歳)測量方手伝いとして渡米したことや、咸臨丸の模型、勝海舟の写真などが展示されています。

 ※内部撮影及びブログ掲載については係員さんの許可を得ています。

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【旧赤松家記念館.3】
展示室。紙本金地著色源氏物語図。徳川16代当主家達から贈られと伝えられる品です。


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【旧赤松家記念館.4】
オランダで撮影された留学生たちの写真。前列右から二人目が赤松大三郎(則良)。他に林研海、榎本釜次郎(武揚)、西周助(周)らがいます。
帰国後、榎本武揚と赤松則良は林研海の妹をそれぞれ妻に迎え入れ、その後、赤松則良の長女・登志子は西周の仲人で森鴎外の妻となります。


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【旧赤松家記念館.5】
赤松大三郎23歳の等身大パネル。


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【旧赤松家記念館.6】
濡れ縁の前庭。

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【旧赤松家記念館.7】
庭園の池。当時は畑や果樹園として使われていました。


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by team_baku | 2021-09-30 20:01 | 建築見学 | Trackback(7)

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