先日、安興寺六角堂を訪れた折り、近くにある吉岡彌生(やよい)記念館を約10年ぶりに訪れてみました。掛川市南部の山裾に立地するこの施設は、10年前と変わらない周辺の風景の中、しっかりと存在感を出していました。また、この記念館の隣には吉岡(旧姓・鷲山)彌生の生家である鷲山(わしやま)医院住宅や長屋門が移築され、こちらも見学出来るようになっていますのでより理解が深まると思います。
吉岡彌生は東京女子医科大学の前身である東京女医学校、東京女子医学専門学校を創設し、女性医師の養成や医学の教育・研究の発展に尽力しました。同世代の日本の女子教育の基礎作りに活躍した女性教育者には、津田梅子(津田塾大学創立者)、安井てつ(東京女子大学創立者)、鳩山春子(共立女子大学創立者)、跡見花蹊(跡見学園創立者)、下田歌子(実践女子学園創立者)、横井玉子(女子美術大学創立者)などがおります。
【吉岡彌生記念館.1】外観西面。
吉岡彌生の生き方を彷彿させるような、力強い直立した壁と柔らかい曲線の壁の組み合わせが印象的な外観です。
【吉岡彌生記念館.2】全景西面。
記念館の北側には生家・鷲山医院住宅や長屋門が移築されました。
【吉岡彌生記念館.3】案内板。
【吉岡彌生記念館.4】エントランス。
記念館内部の写真撮影は禁止でしたので、リーフレットに合わせ紹介したいと思います。
展示ゾーンは3段のステージになっていて、3つの時代に分けられています。これは敷地が山裾にあるのでその勾配に合わせ、約1mずつ上がっていく造りにしたようです。そしてそれを補うように、内部には展示室最上部とロビーに繋がるスロープ、外部には展示室最上部から移築した生家の敷地に繋がるスロープが配置されています。また半円形のホールは看護とケアの展示ゾーンになっています。
第一ステージ「志」1871~1900年
今から151年前の明治4年(1871年)、鷲山彌生は遠江国城東郡上土方嶺向(現・掛川市上土方)に医師・鷲山養齋の次女として生まれます。明治22年(1889年)18歳の時、医師を目指して上京し、当時女子の入学を認めていた数少ない医学校、済生学舎に入学します。明治25年(1892年)医術開業試験後期試験に合格し、日本で27人目の女医となり、故郷に戻り父親を助け、鷲山医院の分院(大坂村・横須賀村)で診察を行います。
明治28年(1895年)医師としての腕をさらに磨くためドイツ留学を目指し再び上京し、昼間は開業しながら夜はドイツ語を教える私塾・東京至誠学院に通学。のちにこれが縁となり同学院院長の吉岡荒太と結婚し、東京至誠医院を開業します。
明治33年(1900年)済生学舎が女性の入学を拒否したことを知り、同年12月に日本初の女医養成機関として東京女医学校を設立します。といっても当初の生徒数は4人だったそうです。当時は女医の地位は確立しておらず苦難の時代でした。
第二ステージ「翔」1901~1947年
医師法改正により、大正3年(1914年)以降は医師国家試験の受験資格として「医学専門学校の卒業生であること」が条件に付けられます。彌生の学校も医学専門学校としての認可を受けなければ廃校の危機に陥ります。財政の苦しい中、学校としての設備を整え、教員の増員を図るなどして認可基準をクリアして申請から2年半後明治45年(1912年)に東京女子医学専門学校に昇格します。そして大正9年(1920年)には文部省指定校となります。関東大震災や第二次世界大戦で学校は大打撃を受けます。
第三ステージ「愛」1948~1959年
戦後の動乱の中、困難を乗り越え昭和27年(1952年)東京女子医科大学として新たなスタートを切ります。その時彌生は81歳でした。そして88歳で亡くなるまで女性の社会的地位の向上をめざす取り組みに努力を惜しまず、最期は教え子たちに看取られながら一生を終えました。
【吉岡彌生記念館.5】展示室外部からスロープを上がると、直立した壁に隠された生家へのアプローチが待つという演出になっています。
【吉岡彌生生家・鷲山医院住宅.1】生家へのアプローチ。
【吉岡彌生生家・鷲山医院住宅.2】長屋門。
入口向かって右手には当時のままと思われる「鷲山醫院」の看板が取り付けられています。
現在両脇の内部は見学者用トイレと休憩所に改修されています。
【吉岡彌生生家・鷲山医院住宅.3】案内板。
【吉岡彌生生家・鷲山医院住宅.4】外観西面。
【吉岡彌生生家・鷲山医院住宅.5】玄関。
玄関引戸の上にはガラス戸の欄間引戸が取り付けら採光が取られています。
電話ボックス、ガラス面には「電話10番」とあります。

【吉岡彌生生家・鷲山医院住宅.6】
待合室。
【吉岡彌生生家・鷲山医院住宅.7】診察室。
この部屋の上には小屋裏部屋があったようです。
【吉岡彌生生家・鷲山医院住宅.8】座敷8帖と床の間。
【吉岡彌生生家・鷲山医院住宅.9】炊事場。
4連のへっつい(かまど)になっています。
【吉岡彌生生家・鷲山医院住宅.10】洗面・浴室。
竿縁天井にむくり勾配が付けられています。