熊野御前と熊野の長藤
2022年 04月 20日
ひと月ほど前の記事で紹介させていただいた池田の渡しと共に、磐田市池田には「熊野の長藤」(ゆやのながふじ)で有名な行興寺があります。普段は落ち着いた雰囲気の行興寺ですが、4月中旬から5月上旬にかけ境内に植えられた長藤が開花し、多くの花見客で賑わいます。今週月曜日には地元紙に『藤色カーテン 甘い風にそよぐ』と写真付きで掲載され、例年より10日早く満開を迎えているとのこと。しかも天気予報によると明日からは雨曇りが続くようなので、早速訪れてみました。
「熊野の長藤」の熊野とは熊野御前(ゆやごぜん)のことです。平安時代末期にこの池田の地に生まれ、平宗盛の寵愛を受けた女性です。その熊野が植えた長藤と伝えられるのが「熊野の長藤」で、樹齢およそ800年以上(推定樹齢850年)と言われています。この長藤は国の天然記念物に指定され、開花後の花房の長さは1m以上になります。境内にはこのほか静岡県の天然記念物の指定樹が5本あり、樹齢はおよそ300年以上と伝えられています。
そして、行興寺の北側には西法寺公園があり、こちらにも藤棚が広がっています。藤棚の面積は寺の境内と合わせて約1,600㎡で、こちらの藤は行興寺に植えられている熊野の長藤を接ぎ木したもので、長藤のDNAを受け継いでいます。今日は人出も多く写真を撮るタイミングが難しかったのですが、マスク越しにも藤の甘い香りが感じられ、シャッターチャンスを待つ時間もいいものでした。
この西法寺公園の一画には、熊野没後800年にあたる、平成10年(1998年)に建てられた「熊野伝統芸能館」があり、屋外型の能楽堂が付設されています。設営可能な客席数は350席、藤棚を借景とした本格的な能舞台で、能や薪能などが上演されます。
ここで熊野御前についてですが、熊野は平安時代末期、池田荘(現・磐田市池田)の荘司の藤原重徳の娘として生まれます。紀州の熊野権現に祈願し授かったことにより、熊野(ゆや)と名付けられます。その後、美しく成長した熊野は、教養豊かで和歌に通じていることから、当時、遠江国守であった平清盛の三男・平宗盛(たいらのむねもり)に見初められ京の都に上ります。宗盛は今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で平清盛の後継者として、俳優・小泉孝太郎さんが演じている人物といえばピンとくる方がいるかもしれません。
その後、京での暮らしが数年経った熊野御前の元に、故郷池田から侍女・朝顔が母の手紙を持って訪れます。手紙には母の病の知らせが書かれており、熊野は宗盛に里帰りを申し出ますが、宗盛は里帰りすることを許しません。しかし翌春、清水寺の桜見物の席で熊野が「いかにせん 都の春も惜しけれど 馴れし東の 花や散るらん」と詠んだ望郷の念を込めた歌に心に打たれ、宗盛はついに熊野の思いを受け入れます。
池田に帰った熊野は母に再会しますが、母の命は短く、さらに宗盛は壇ノ浦の戦いに敗れ、その後刑死し、平家滅亡を聞いた熊野は、池田の地で草庵を結び尼となり、33歳の若さで静かに生涯を終えます。熊野が祈りを捧げた草庵の跡が現在の行興寺で、境内には熊野と母の墓があり、熊野の命日と言われる5月3日には毎年供養祭が行われています。






















