前回ブログで、投稿当日の6月19日に発生した石川県能登地方の震度6弱の地震について触れましたが、地震国日本においては、いつどこで地震が発生してもおかしくないのが現状です。当地静岡県では46年前の昭和51年(1976年)、当時東大助手の石橋氏が発表した東海地震説、これは当時学生だった私にも記憶に残っていますが、それを契機に建築物の耐震化などが推進されてきました。その後、第2次、第3次地震被害想定の諸対策を講じる中、平成23年(2011年)東日本大震災の大津波を目の当たりにして、平成25年(2013年)第4次地震被害想定では、南海トラフ付近の大地震で想定される大津波に備え、ハード面では海岸防潮堤や津波避難施設の整備が図られることになりました。
そこで今回は、津波防潮堤整備の現状について調べてみることにしました。静岡県の海岸は、特徴の異なる3つの沿岸で構成されています。遠州灘沿岸の約70km、駿河湾沿岸の約163km、伊豆半島沿岸の約273km、延べ長さでは約506kmもの長い海岸線があります。中でも南海トラフの地震による津波到達時間が早いと想定される、遠州灘に面した静岡県西部の各市では、海岸防潮堤の築造工事が行われ、昨年3月に防潮堤が完成した浜松市を除き、整備が急がれています。
地元の磐田市では海岸線11kmに渡り、高さ14mの海岸防潮堤の整備が行われていますが、市の発表では令和3年度末で市施工分の完成延長は3.6km、完成率は35.7%となっています。
ここで市施工分というのは、県施工分と分けた施工区分のことです。海岸防災林工区の約7.5kmでは市施工分で高さ12mまで築造後、県の第4次地震被害想定の最大津波高に合わせ、県施工分としてさらに2mかさ上げし、海抜14mの高さに完成させます。県施工分のかさ上げ工事では、市が施工した盛土の上に、県が防災林の再整備を行なっているそうです。
見学したこの日は、午前8時過ぎにも関わらず、すでに10tダンプが工事現場を何台も行き交い、土砂を運搬していました。この防潮堤を造るのに必要な土量は315万㎥とのことで、10tダンプ(積載量6㎥)にして延べ52.5万回分にあたります。
気になる完成時期ですが、昨年の計画の見直しで3年短縮され、令和8年度に磐田市施工分が完成予定、そして県施工分は市施工分を追い掛けるように施工しているため、市農林水産課の担当の方のお話では、令和9年度には完成予定とのことでした。

【静岡県海岸】 ※Google mapより
【遠州灘海岸】 ※Google mapより
赤線部分が磐田市の防潮堤整備区間です。

【磐田市静岡モデル 海岸堤防整備計画の概要】 ※参考資料 磐田市HPより 農林水産課 転載の許可を得ています。
上図の説明書き通り、赤線部分が完成区間です。
工区は上図の左側(天竜川左岸)から竜洋海洋公園工区、海岸保全工区、海岸防災林工区、太田川右岸工区、海岸防災林工区(太田川左岸)に分けられ、現状に合わせた築堤工法がとられています。
竜洋海洋公園工区では、盛土により高さ14mの防潮堤を竜洋海洋公園と一体的に市が整備しています。海岸保全工区では、防潮堤整備予定地と民有地が近接しているため、狭い幅でも永久構造物としての強度を有した築堤ができる、砂礫等の土砂にセメントを混合した材料(CGS)を用いた工法で、高さ14mの防潮堤を整備していきます。海岸防災林工区では、既存の防災林を残しつつ、市と県が連携し盛土工事や松の植樹などを進め、高さ14mの防潮堤を整備しています。太田川右岸工区では既存の防潮堤を生かし、その内陸側に高さ14mの防潮堤を整備し、平成28年度に完成しています。
【福田海岸防潮堤.7】防潮堤の法面には防風柵に囲まれた松の苗木が植えられています。
【福田海岸防潮堤.8】防風柵に守られ松の苗木も無事根付いているようです。
【鮫島海岸防潮堤.1】
鮫島海岸は海岸防災林工区の中央辺り、浜松シーサイドゴルフクラブの南側に位置します。
この防潮堤は平成30年9月と平成31年10月の台風による高波で、既存防潮堤が600mに渡って大きく削り取られたため、県により高さ約9mで築堤されたものです。今後、この防潮堤を利用し高さ14mの防潮堤が令和8年までに造られる予定です。
【鮫島海岸防潮堤.2】打ち寄せる波間。この日は10人くらいのサーファーがいました。
【鮫島海岸防潮堤.3】防潮堤西側。福田海岸と違い、鮫島海岸には小砂利が混ざってます。この防潮堤と防風林の内陸側にスズキのテストコースがあります。この日は西風に乗り、テスト走行中のバイクだと思われる高回転のエンジン音が聞こえてきました。なおスズキは磐田市に防潮堤建設に対し、28億円の寄付をされています。
【鮫島海岸防潮堤.4】防潮堤東側。延べ600mの防潮堤です。左側の白い部分は海岸に出入り用階段です。
【鮫島海岸防潮堤.5】遠州灘海岸を東に望む。
【鮫島海岸防潮堤.6】遠州灘海岸を西に望む。
【鮫島海岸防潮堤.7】緑十字機不時着地の碑。
防潮堤工事に伴い旧堤防脇から鮫島海岸駐車場入り口に移設されていました。
終戦時の昭和20年(1945年)当時、海岸線は現在より100m先だったようです。それが戦後の佐久間ダム建設等により天竜川からの土砂の自然供給が少なくなり、海岸浸食が進んでいます。津波対策とは別に考えなければならない課題だと思われます。