袋井市 命山 見学
2022年 10月 15日
諸事情で少し間が空きましたが、再び津波避難施設について追ってみたいと思います。今回はこれまで紹介させていただいた磐田市の東側に隣接する袋井市に築造された津波避難施設「命山」(いのちやま)です。
「命山」と言われても聞き馴染みのない言葉だと思われる方が多いかもしれません。命山のある袋井市浅羽南地区では、江戸時代初期から使われてきたようです。命が救われた山という意味から「命山」と名付けられたものです。
延宝8年(1680年)8月6日、この時東海地方を襲った台風は江戸時代最大のもので、高潮と重なり遠州灘沿岸の横須賀から浅羽にかけ、大きな被害をもたらしました。
当時の様子が記録された古文書には「長溝村開発由緒書」「百姓伝記」「横須賀根元歴代名鑑」などがあり、「長溝村開発由緒書」によると
「…大雨、大風が鎮まらず、大潮と重なって提が切れ、浅羽中に波が打入り、東同笠から大野・中新田村全ての家が押し流された。人々は天井に登ったが天井まで汐が満ち、屋根を破り、軒へ取り付いて漂流したが、波に打ち砕かれ大勢が死んでしまった。僅かに助かった者も、江ノ端の提に打ち当って家は砕かれ、年寄りや子供が沈んでしまった。家財道具や死体は芝村にまで打ち上げられた」
このように被害の様子が書かれ、
「その後、二度とこのような悲惨な体験を繰り返すまいと残った村人は力を合わせ、避難するための塚を村中に築いた。その後、何度も洪水が村を襲ったが、この塚のおかげで大勢の命が救われた。村人はこの塚を『命山』と名付け子孫へと語り継いだ…」
と、水害から身を守る対策で命山を築いたことが書かれています。

空撮。グーグルマップより。※画像上で右クリックまたはタップで拡大表示出来ます。
西側(左側)から「湊西地区命山」→「湊東地区命山」→「東同笠(ひがしどうり)大野地区命山」→『大野命山』→『中新田命山』→「中新田地区命山」の順です。
海岸線から約1.2~1.3km、国道150号沿いに築造されています。

【湊西地区命山(江川の丘).1】
空撮。グーグルマップより。
敷地の形を上手く利用したスロープが造られています。

説明板。収容人員300人(大人1人/㎡) 高さ8.1m(海抜10m)
地元の鎮守、江川神社からの命名のようです。
洗堀対策にはアスファルト舗装が、法面保護には芝張りが用いられています。

全景。法面の芝がきれいに刈り込まれています。

避難場。砕石が敷きこまれています。


【湊東地区命山(湊命山).1】
空撮。グーグルマップより。
北側は通行量の多い国道150号に面しています。


全景。

避難場。芝張りとなっています。ベンチの上にはパーゴラがあり、蔦類が日陰を作っています。

遠州灘方向を望む。

今日は天気が良く北北東方向には富士山が望めました。

【東同笠大野地区命山・大野命山】
空撮。グーグルマップより。
江戸時代に造られた大野命山より西へ350mほど離れた所に東同笠大野地区命山が造られました。

【東同笠大野地区命山(寄木の丘).1】
説明板。収容人員300人(大人1人/㎡) 高さ7.5m(海抜10m)
地元の鎮守、寄木神社からの命名のようです。


避難場。

調整池。大雨時の対策として調整池も造られていました。

【大野命山.1】
収容人員136人(大人1人/㎡) 高さ3.5m(海抜6m)

頂部には小さな祠がありました。

空撮。グーグルマップより。

この命山の横には調整池が造られています。


避難場。

遠州灘方向を望む。

【中新田命山.1】
収容人員68人(大人1人/㎡) 高さ5.0m(海抜7.8m)

説明板。


現在の同上地形図範囲の空撮画像です。
入江があった範囲(青線)の中には弁財天川が流れ、陸地となった土地は周囲より一段低く、300年余り経った現在でも水田として利用されているのが分かります。