大阪万博EXPO’70の思い出
2025年 02月 27日
昨日から今日に掛け、朝ドラ「おむすび」で万博の「太陽の塔」を見に行くというシーンがありました。これは1970年に開催された大阪万博の跡地に建つ太陽の塔のことです。暗に今春開幕する大阪関西万博を宣伝しているのかな?とも思いました。
その大阪関西万博の開幕まであと1ヶ月半と迫ってきました。時代背景もあるのでしょうが、1970年の大阪万博の時の盛り上がりとは少し差があるように感じます。’70年の万博は大坂だけでなく、日本として開催する万博だと広められ、テレビ等で紹介番組が頻繁にあり、歌手・三波春夫さんの歌うテーマ曲『世界の国からこんにちは♪』も相まって、開幕前から全国的に盛り上がっていたように思います。調べてみますと、6ヶ月間の開催期間中に延べ6422万人もの入場者があったようです。



当時、大阪から遠く離れた静岡県磐田郡に住む中学2年生だった私は、中学校の学年ごとの社会見学として大阪万博に行くという機会に恵まれました。高校時代の友人達に聴くとそんな学校行事はなかったということで、大変貴重な経験したんだと今更ながら思います。あの時目に映った未来都市から舞い降りたようなパビリオンの建築群に中学生の私は感動し、その5年後に大阪で建築を学ぶことになったのは、少なからず影響を受けていたように思います。
そして万博見学では会場内が大変な混雑だということで、男子生徒は黒い学帽の頂部に白い布カバーを被せ、女子生徒はセーラー服のスカーフの色を赤だったか派手な色に変え、出来るだけ他校生と見分けがつくようにと事前に準備しての参加でした。今思えば田舎の中学生が会場で迷っても見つけ易いと、当時の先生方にすれば苦心しての対策だったのではないかと思いますが、あまりの入場者の多さでどこまでそれが役立ったかは分かりません。
会場内は3~4人のグループ行動で、各パビリオンの近未来的な建築に目を奪われましたが、どのパビリオンも長蛇の列、一泊二日という限られた時間を考え、行列が若干でも少ないパビリオンに並び、出来るだけ多くのパビリオンを巡ったという記憶があります。また当時はカメラの持参は禁止で各パビリオンや展示物は目に焼き付けるしかない見学でした。中学の社会見学なので持参出来るお金も上限がありました。当時限られたお小遣いでお土産に買った各パビリオンの絵葉書セットが今でも手元にあり、せっかくの機会なので、懐かしい思い出と共に、55年経過したとはいえ絵葉書写真の著作権に触れない程度で画像を掲載させていただこうと思います。

【海外パビリオン各館】
上段左から 会場全体 太陽の塔 アメリカ館 ソ連館 スイス館
下段左から イギリス館 イタリア館 フランス館 カナダ館

【国内パビリオン各館】
上段左から 富士グループ館 リコー館 松下館 ガス館 お祭り広場 電力館
下段左から せんい館 みどり館 東芝IHI館 エキスポタワー 虹の塔
大阪万博での参加パビリオンは外国館は76ヶ国、4国際機関、1政庁、6州、3市、2企業、国内館は32団体でした。
万国博覧会は国際博覧会条約により開催期間は6ヶ月間以内と定められ、パビリオン等の建築物は閉会後に解体撤去するのが基本ですが、太陽の塔は撤去反対の署名運動が起き保存と決まり、その後耐震改修工事が行われ一般公開されています。
以下、主なパビリオンの概要を調べてみました。
【太陽の塔】
芸術家・岡本太郎氏のデザインです。塔の高さは71m、最下部の直径は20mで、塔の頂部には黄金の顔、胴部には太陽の顔、背面には黒い太陽という3つの顔を持っていました。内部は中空になっていて「生命の樹」と呼ばれる巨大なモニュメントを中心に、さながら胎内を巡るかのような展示となっていました。
【お祭り広場大屋根】
「お祭り広場」は大阪万博の中心施設で、その36.5m上部に巾108m長さ292mの大屋根が架けられました。この大屋根は500㎜又は350㎜の鋼管を用い、上下弦面が10.8m正方形グリッドを10.8mの斜材で立体トラス状に組んだダブルレイヤ・グリッド構造で造られ、世界最大規模のものでした。
【日本館】
主催国にふさわしく最大級の展示館で、中央にある高さ80mの塔を中心に直径58mの5つの円形建物がそれぞれ3本柱により地上から6.5m浮かんで建っていました。上空から見ると桜の花びらのように見え、万博のシンボールマークをかたどった形になっていました。
【アメリカ館】
低い楕円形をした展示館は高さ7m長径142m短径83.5mの大きさで、その屋根は空気膜構造で内部の無柱空間を実現しました。のちに東京ドームの屋根構造に用いられました。月の石が展示物の目玉でパビリオンNo.1の長い行列が出来ました。
【ソ連館】
当時のソビエト連邦の展示館です。高さ109m巾130m奥行70mとどのパビリオンよりひときわ高く、赤と白の鮮やかな配色で、低く抑えたアメリカ館と対照的で、会場のどこからも見え目立つパビリオンでした。
【スイス館】
「光の木」と呼ばれた巨大なデコレーション・ツリーは、5m四方の幹に径55mの枝を四方に伸ばし、径55m高さ21mの大きさで、アルプスの樹氷を表現したもので、枝には32,036個の透明ガラス白熱電球(40w)が取り付けられていました。
【オーストラリア館】
直径48mの円形屋根を波の形をした高さ40mの片持ち梁で吊るした構造で、主展示室のある円型サンクンガーデンは2000人を収容でき、直径8m長さ69mの円筒形の展示チューブが設けられていました。

【絵葉書ケース】
太陽の塔の黄金の顔部分がクローズアップされています。裏面には日本万国博覧会協会の証紙が貼られ、¥300と値段が印字されています。当時の物価水準に比べても安いように思います。
by team_baku
| 2025-02-27 11:11
| 所感・雑感
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