N病院グループ記念誌によせて
2026年 01月 22日
昨年11月末から磐田市のT病院に入院している母が、今月末には同じT病院グループのH介護医療院への転院が決まり、これまで2年半お世話になったケアマネージャーWさんも代わるということで、先日申し込み手続きと施設見学に行ってきました。そこで新たなケアマネージャーTさんにお話を伺うと、以前、浜松市のN病院に勤めていたということで、「R子先生(筆者注 N病院開設者W先生の夫人)にはほんとお世話になりました」とか、当時の思い出話になりました。
そんな出来事を弊社代表に話すと、N病院の記念誌に当時の在籍スタッフの名簿もあるからと10周年、20周年、30周年の各記念誌を貸してくれました。自宅に帰りさっそく10周年記念誌から開いてみたのですが、そこに載っている過去・現在のスタッフは12ページ、約700名に及び、文字は小さく、結婚され苗字が変わっている可能性大だしと、早々に諦めるありさまに・・・

【N病院グループ記念誌】


そして当初の目的とは異なりますが、記念誌に目を通していますと、N病院開設者である初代理事長W先生が『今は昔話』と題し、16ページに及ぶN病院開設までの経緯やエピソードが書かれている文章があり、興味を惹き読み始めました。
読み進めていますと、当時私が所属していた建築設計事務所の所長のことや、担当だった弊社代表のことが書かれていました。「加藤静馬氏という人物は面白い人である。遊び心のある人だ」「土地の件は確実でなく、資金調達も定かでない時期に図面を書いて下さった。土地の話は転々とするので、その土地に合った設計図を書かなければならない。ダメになってしまうかもしれない図面を何度も書き、建築諸々の相談に乗ってくれた」「もっとも、その都度、克明に図面を書いてくれたのは所員の飯尾悦男氏のようであった」「飯尾氏は社のフトコロが赤字か黒字か関係なく(?)病院設計に熱を燃やしていた」
たしかに所長はお施主様に対してはそんな感じだったし、当時は深夜残業が度々あり、間に合わなければ日曜出勤したり、所員それぞれが担当の建築設計図を一途に描いていたなと思い出し、懐かしく読むことが出来ました。これは昭和55年(1980年)の出来事で、当時、W先生42歳、加藤所長49歳、飯尾所員(現・弊社代表)26歳、私は23歳の時のことであり、46年前の昔話です。

左から10周年記念誌、20周年記念誌、30周年記念誌。

【N病院グループ施設の変遷】 ※画像上をクリックまたは2回タップで拡大表示されます。
左上の1981年竣工・N病院から、右下の2011年竣工・Nの杜までの変遷を表した鳥瞰パース。SGSデザインの故・鈴木氏による手描き水彩画パースです。

【「今は昔話」の誌面の一部】 ※画像上をクリックまたは2回タップで拡大表示されます。
第1章から第5章まであり、第1章は、W先生ご自身のこれまでの職歴や高齢者病院開設の決意。第2章は、奥様と数人の協力者による土地(建設場所)探し、1年半かけ進めてきたY町の土地の頓挫。第3章は、1年を経て浜松市医師会の同意を受け浜松市N町の土地が決まりかけたが突然頓挫。第4章は、同じ浜松市N町の別の土地候補の中から紆余曲折を経てついに決まる。N町自治会への説明会、多くの金融機関に融資を断られる中、地元H信金による建設資金の融資決定。最後の第5章は、建築設計から建築工事、仮設事務所での開院準備作業、奥様と数人の協力者によるスタッフ探しや募集採用、採用スタッフのH医大病院やE特養ホームへの研修などが書かれています。
故・W先生が高齢者病院を開設しようと決意された昭和52年(1977年)当時は、高齢者病院そのものに社会は無理解で、建設候補地に入るだけで周辺住民の拒否反応が出る時代だったのですが、W先生は先駆者として苦難を乗り越え高齢者病院を開設されました。現在では至る所に高齢者病院や介護施設が出来、療養や介護の必要な高齢者が入所しケアやリハビリ等が受けられると共に、家族の介護負担が軽減されています。私の母が入院しているT病院グループはN病院グループを手本として運営していると聞いています。感謝の念に堪えません。
by team_baku
| 2026-01-22 21:08
| 所感・雑感
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